2012京都文書【京都式認知症ケアを考えるつどい】
2012/2/12に行われた京都式認知症ケアを考えるつどい(同志社大学室町キャンパス寒梅館)で採択された「2012京都文書」が修正され公表されました。いろいろと考える事はありますが、まずは全文掲載します。
□認知症の疾病観を変えることから始める
家族介護とそれが限界を迎えたときの入院・入所しかなかった時代、既に多くのものを失ってからしか医療やケアとの出会いはなかった。そんな従来の認知症の疾病観は極論すれば、認知症の終末像を中心に構築されたと言うことができる。しかし、終末像のイメージしか持たない疾病観というものはアイデアとしての貧困であり、医療にとってもケアに
とっても、ときとして有害である。人としての尊厳が守られないケア、たとえば老人病院でベッドに縛られるといった風景は、こうした疾病観と無縁ではなかった。一方、私たちの社会が準備できているケアは中等度と重度の認知症に中心があり、初期で軽度の認知症に対するケアが欠落している。この欠落が時に取り返しのつかない破綻と絶望を生む。癌などの他の疾病が「死の宣告」から「生きるための告知」に転換していった過程に習って、初期の疾患イメージが変わることが重要になる。そして、そのために必要な認知症の全体像を手に入れるためには、起点から始めて疾病過程に順行して全経過をフォローすべきである。おそらくそこから、新しい認知症ケアや養生の仕方、そして希望と楽観も生まれてくるはずである。多くの疾患がそうであったように、初期の疾患イメージと手当の方法が確立すると、終末期の姿が大きく変化していく。認知症の人が今よりももっと豊かな人生を生きることができるようになることで、認知症の疾病観は確実に変わっていく。
□ 認知症の疾病観を変えるためには(出会いのポイントを前に倒す)
認知症の疾病観を変えるためには、つまり初期の疾患イメージと手当の方法を確立するためには、出会いのポイントを前にずらすことが必要になる。家族や周囲との関係を含め、すべてを失い、すべてが壊れた後に医療やケアと出会うと、その出会いは多くの場合侵襲的なものにならざるをえない。彼らの生活の連続性を断ち、生活を根こそぎにする形で始まる医療やケアとの出会いはお互いの不幸である。せめて生活を奪わない医療やケアでありたい。医療やケアの侵襲性を最小限にするためには、失う前、壊れる前に彼らと出会う必要がある。そこで浮上してくるのが入口問題である。
□ 入口問題とは何か(アクセスからの排除)
出会いのポイントを前に倒すには、医療やケアと出会う部分、つまり医療やケアへのアクセスがスムーズに行われる必要がある。この部分を担う両輪として期待されているのがかかりつけ医と地域包括支援センターであり、サポート医の創設やかかりつけ医認知症対応力向上研修もその一環に位置する。もちろん、こうしたシステムは必須であるが、それ
だけでは出会いのポイントを前に倒すことはできない。つまり、入口問題とは、単にアクセスポイントの有無だけに留まらず、社会経済的問題を含んだ「アクセスからの排除」をもたらす要因のことである。しかし、これまではこの問題に明確な焦点があてられることがなかったために、きちんとした分析がなされることなく放置されてきた。入口問題を解決するためには、まずはこの問題を描き出すところから始めなければならない。
入口問題は、医療やケアに「アクセスする側の要因」と「アクセスを受ける側の要因」に大別される。たとえば独居、社会的孤立、支援拒否、貧困、複合的家族問題といった要因があると、医療やケアへのアクセスが困難になり生活が破綻してから事例化するリスクが高くなる。アクセスする側の要因とは、つまるところ認知症の本人および家族が有する
様々なレベルにおける「虚弱性」の問題として整理することも可能である。「アクセスを受ける側の要因」としては、たとえば早期発見するシステムの未整備、アウトリーチ機能の未成熟、医療とケアとの連携不足といった問題が浮上してくる。ここには、認知症の人やその課題を発見するところから対応を開始するところまでが含まれるので、医療・ケア・行政・制度などの広い範囲に渡って要因を整理する作業が必要になる。
ところで、社会全体としては入口問題に光があてられることがなかった時代、いち早くこの領域の問題の重要性に気づき、入口問題に対する先駆的な取り組みを継続してきたのが「認知症の人と家族の会」をはじめとする当事者組織である。これらは、電話相談やつどいの開催により、入口部分で迷い、途方に暮れる人たちの支援者として重要な機能を担
ってきた。いま、こうして入口問題を検討することができるのも、その源流は当事者組織にある。
□ 入口問題の解決に向けた道筋
認知症を生きる人たちが援助者と出会っていく流れに沿って入口問題の解決に向けた道筋を描いてみる。自らアクセスしない(できない)人たちの最大のリスクは発見が遅れることなので、地域という「面」を対象にした、早期に発見できる仕組みを検討する必要がある。ここには、民生委員など地域で見守り活動をする人たちとの協働体制の構築や、地域全体への認知症サポーター養成講座の浸透など、「地域づくり」に向けた取り組みが含まれる。次の段階、つまり出会いが「発見」になるためには、関与する人たちの認知症に対する感度を上げる努力が必要になる。この問題は認知症の疾病観とも深く関与する。そして、入口問題への中心的な役割を期待される地域包括支援センターは、支援を拒否する困難事例への「訪問相談」を担えるよう体制を強化する。そこには人的・技術的・制度的支援が含まれる。また、ともに入口部分を担うかかりつけ医とは、「顔の見える関係」をつくることで日常的な連携を可能にしたい。本人・家族・ケアワーカーが、かかりつけ医に対し専門医への紹介を気兼ねなく依頼できるよう、かかりつけ医と専門医との連携も重要である。どうしても受診が困難な事例には、専門医の訪問診療や訪問看護が切り札になりうる。こうした広範囲にまたがる多職種の連携体制を構築するためには、医師会と行政の関与が不可欠となる。
以上、今後の課題を提示してみたが、既に先行した実践がある。認知症サポート医連絡会のスタートによって、京都の認知症専門医(サポート医)とかかりつけ医が一堂に会することが可能になった。認知症専門医全員を対象にした見晴らしのよさと、サポート医とかかりつけ医とが直接顔の見える関係を構築できるという開放性は、「連携」を深化させる上で画期的な意味を持つ。いくつかの行政区では、地区医師会が中心となって認知症ケアに関する多職種協働の地域連携協議会・地域づくりが進められている。こうした試みが京都全体に浸透していくことで、入口問題の大きな前進が期待できる。行政では宇治市の取り組みがモデルになる。地域包括支援センターをサポートするために認知症ケアのネットワークを主宰し、宇治久世医師会と連携ツール(物忘れ連絡シート)を共同作成し、地域包括支援センターと一緒に96の医療機関に戸別訪問して交流と連携ツールの浸透を図っている。そして、事例検討を重ねて「事例集」をまとめ、その分析作業に着手している。
こうした事例集作成は、京都市地域包括支援センター・在宅介護支援センター協議会が先鞭をつけたものであり、「入口問題」を検討する重要な資料となる。ただ、忘れてはいけないのは、こうした取り組みが、突出した個人や団体に依存するのではなく、どこの地域へも移植可能(トランスミッシブル)なシステムとして結実することである。
□ 認知症医療の問題(ケアとの相互補完的関係)
認知症の全体像と医療との関係を検討すると、医療が認知症に対して抱えている問題は「認知症の医療」の問題と「医療のなかでの認知症」(合併症問題)の二つに大別される。認知症の医療の問題は大きくいえば、ひとつは医療モデル単独での有効性の低さであり、今ひとつには、医療化(medicalization)のもつ侵襲性である。たとえば、初診の場面を考えてみる。早期診断・早期治療の場面では、本人・家族が初めて認知症と向き合う場でもあることを考えると、認知症をいかに受けとめてもらい、いかに適切なケアに結び付けるかということが重要になる。認知症を生きる本人への支援、彼・彼女と一対の家族に対する支援、家族の会やケアとの距離感、そして医療提供者自身がそれに伴走する姿勢が重要になる。つまり、認知症治療薬を処方するだけでなく、認知症の人を治療するとはどういうことかをよく考える必要がある。そして医療とケアは相互補完的関係にあるので、ケアと連携する能力が必須になる。ケアと連携する技術・知識・姿勢を、医療の「標準装備」としたい。また、医療とケアとを「横の連携」と考えるなら、かかりつけ医と専門医とは「縦の連携」になる。二つの連携は、横糸と縦糸を使って一枚の布を織り上げる作業に似る。「点から線へ、線から面へ」と関係者の連携を編み上げていけば、認知症を生きる人たちが必要な医療から排除されたり、反対に過剰な医療化を受けることを防ぐことができる。
「医療の中での認知症」(合併症問題)については、たとえば、認知症の人が身体疾患を合併した時に総合病院から入院を断られるといった問題が含まれる。そうした現状を分析した上で、認知症を生きる人たちに必要な医療と暮らしの両方を保証するための道筋を探らなければならない。急性期病院の環境は認知症の人たちには過酷な面があることを考
えると、認知症の人たちに対する医療は暮らしの場で提供されることが基本となるべきであろう。そのためには病院から暮らしの場に医療の重心をシフトすること、つまり訪問看護と訪問診療を中心にした医療の構築が前提となる。地域医療が確立すると、病院は地域医療との協働と役割分担を担保にして、必要な入院を断らない体制を準備することが可能になる。その場合、急性期病院は、認知症ケアの専門チームを配置してケアの相談に応じる体制を整えたり、入院期間を最短化するとともに、地域連携室や退院調整部門を中心にして地域と一体になった病棟運営を構築するなど、認知症の人に焦点をあてた新しい工夫が必要になる。そして、暮らしの場に戻すためには、提供しようとしている医療が、認知症の人の生活にどう影響するのかを問う視点が不可欠となる。病院と地域との信頼関係が深まれば、急性期病院への精神科医の往診も可能になる。認知症人口を考えれば、地域毎に身体疾患を合併した認知症の人たちに対する医療を検討する必要があるが、2012年に京都でスタートした在宅療養あんしん病院登録システムは、病院と地域の連携を構築する上でよい機会になりうる。在宅・施設・病院看護師がともに認知症ケアを学ぶ場を地域単位で形成できると、連携は容易になる。
□ 認知症ケアの問題(守備範囲を拡大する)
ケアの世界は、この10年で大きな転換を遂げた。それは一斉介護方式と呼ばれた集団ケアから個別ケアへの転換であり、大規模・多床室から小規模・ユニット型個室への転換であった。ケア理念としてのパーソンセンタードケアは、2006年の「地域密着型サービス」を生みだし、住み慣れた暮らしの場で切れ目のない連続したケアを提供することが追求されるようになった。では、認知症ケアの現在はどうだろうか。
認知症の全体像とケアとの関係を見ると、依然として軽度の時期のケアは不在であり、重度に至っても運動能力と体力が保たれている人のケアは不十分なレベルに留まっている。まず、初期段階におけるケアの不在を検討すると、この課題については相談窓口の充実や地域づくりの進展、ケアスタッフの学習機会の増加、地域密着型サービス(小規模多
機能、グループホーム、認知症デイ等)の浸透に期待できる。たとえば、小規模多機能の「訪問と通いと泊まりを、利用者の事情に応じて縦横無尽に使い分ける」という方法は、入口問題やケアを拒否する事例への対応を容易にする。地域密着型サービスとケアマネジャーが地域包括支援センターと連携して動けば、入口問題への対応は容易になる。また、「暮らしの場を動かさない」「同じ職員が対応する」という小規模多機能の特徴は、ケアを拒否する事例への侵襲性を小さくする。認知症を生きると言うことは、できないことが増えていくだけではなく、そのことにより周囲との関係性が崩れていくということでもあるので、ケアは「できなくなったこと」を援助するだけではなく、「できなくなったことへの援助を通して周囲の人との関係を繋ぎなおす」という側面を併せ持つ。そうした水準へとケアを飛躍させる可能性がある。
次に、重度に至っても運動能力が高く、対応が難しい人のケアについて検討する。グループホームやユニットケアは、感情機能が良好で親和性の高いアルツハイマー病を中心にケアを提供してきた歴史がある。依然として、もっとも頻度が高いアルツハイマー病に対するケアの確立が急務であるが、アルツハイマー病以外の人たちや対応の難しい人たちに
も守備範囲を拡大していくためには、医療との連携や環境調整が必須になる。また、複数の人で特養の居室を相互利用するホームシェアリングという制度は、家族支援の強力な武器になり、対応の困難な人を在宅で支える可能性を拡大した。小規模多機能、グループホーム、ユニットケアなどの類型毎の特色を分析し、類型毎の一定の水準を示した「ケア標準と到達目標」のようなものが作成できると、ケアの技術化を具体的に検討する手がかりが得られる。サービス類型の垣根を越えて一緒に検討する場が必要になる。
身体疾患を合併するケースへの対応は、ケアの場に訪問診療が上乗せされればさらに多くのことが可能になり、特養などのケア施設における看取りの問題も更に議論が進むであろう。再検討が必要となる。
□ 都市型と地域型(地域特性に応じた認知症地域包括ケア)
京都は南北に長く、京都市など人口密度が高く医療資源も豊富な地域と、高齢化が進み人口も少ない地域を含んでいるが、この二つの地域では認知症医療やケアをめぐる事情も大きく異なっている。両者は同一には論じられない部分も多いことから、「都市型」と「地域型」といった類型を措定して地域特性に応じた議論が必要になる。たとえば、かかりつけ医と専門医との連携ひとつをとっても、認知症専門医や認知症専門医療機関は都市部に偏在しているために、地域型においては専門医へのアクセス自体に困難を伴う場合も多い。
また、医療資源の種類や数が限られるため、機能分化による役割分担は期待できないことも多い。その一方で、社会資源が限られている地域型においては、関係機関相互の親密さや、「顔の見える関係」を前提とした医療とケアの連携においてアドバンテージがある。それぞれに固有の「強み」と「弱み」があるので、認知症に関する地域包括ケアの形成方法についても戦略を異にするはずである。京都全体の認知症地域包括ケアを論ずるためには、「都市型」、「地域型」それぞれにモデルを追求する試みが必要になる。「都市型」モデルの構築においては、多数ある医療・介護資源のはざまでサービスが届かない人が出ないよう気をつける必要があるだろう。一方で「地域型」モデルでは、乏しい医療サービスを少しでも補完する工夫が必要になるだろう。そこでは、医師以外の医療職である心理士、作業療法士、理学療法士、言語療法士の認知症医療への参画を進めることを一つの解決策として提案したい。
□ 地域包括ケアから排除されやすい人たち(排除の要因は多因子)
これまで、地域から排除された認知症の行く末をきちんと検証した議論は少なかったように思う。彼らはどこでどうしているのか・・・。頻度は少なく極端な事例になるが、これまでのケアや医療の限界を踏まえてシミュレーションしたものを、反論、反発、困惑を承知であえてことばにしてみる。
たとえば、排除される若年性認知症の場合。軽度の時期、中等度の時期を経て重度の時期に入り、失語・失行・失認を伴うようになって介護抵抗が激しくなった時。いよいよ家族介護が危機的段階を迎えると、こういう時にこそ頼りになるはずのケアは、介護抵抗を理由に本人と家族を置き去りして身を退いていき、在宅は不可能と進言する。孤立した本人と家族は絶望的な状況に追い込まれ、やむをえず行動を制限できる精神科病院への入院が選択される。この時点で在宅は断念され、地域社会の住人ではなくなる場合が多い。しかし、歴史的に統合失調症を中心に診てきた精神科病院には、薬物療法以外にこのタイプの認知症に対する特別のケア技術がある訳ではない。そして地域のケアスタッフ以上に精神科のスタッフに時間的ゆとりがある訳ではなく、病床は50床を超えることが多い。慣れない環境は彼・彼女に
一層の混乱をもたらすので、必要と判断されれば、薬物療法の他に、保護室への隔離や、時には身体拘束が選択されていく。そうしたことの結果として、身体的にも精神的にも急激に解体していく様子は、家族の足を精神科病院からますます遠ざける。社会からも家族からも孤立した彼・彼女は、一定期間を精神科病院で過ごした後、さらに別の長期療養が可能な病院に移り、そこで最期を迎える。
ケアの側は、精神科病院に入院させた段階で苦闘から解放され、安堵とともにフォローを中止する。入口部分を担った医師は、重度になった段階で転医を選択せざるを得なくなり、自分の役割を終了させる。ケアも医師も彼・彼女の行く末に関心を持ち続けることは難しい。精神科病院は社会で生きていた彼・彼女の姿を知らないし、終末期を引き受けた病院は、もはや彼・彼女の姿から「その人らしさ」を読みとることは困難になっている。
あらためて全体を眺め直してみると、彼・彼女の認知症の全過程を見届けた人はどこにも存在しない。彼・彼女が生きた認知症の全体像は、遂に一度も明らかにされることがないまま、彼・彼女の存在とともに忘れ去られていく。誰もこの問題に関心を持たないので、現状は変わることなく再生産される。すなわち、地域から排除され忘れ去られる本人、このような現実に直面しても他に選択肢を持たず絶望に追いやられる家族。こうした光景は解決されることなく反復される。
地域包括ケアから排除される認知症については、忘れ去られて誰からも関心を持たれないところに最大の問題がある。存在が認識されなければ、排除自体も認識されない。そのために、この領域の問題は誰からも分析されることなく放置されてしまう。認知症を生きる人からみた地域包括ケアを語ることは、排除の諸相を明らかにすることでもある。シミュレーションは、地域のケア提供者に始まり家族も含めてすべての関係者のなにがしかの負い目を描写しているが、排除の問題は、私たちの医療やケアが認知症を生きる人たちを包摂できていない領域で生み出される。まずは、記述するところから新しい技術と希望が生まれる。
当然のことながら、排除されやすいのは行動化の激しい若年性認知症に限らない。ここには、ケアにアクセスするがケアの対応力が及ばず、ケアに包摂できないすべての認知症の人が含まれる。この問題も入口問題同様「ケアを受ける側の要因」と「ケアを提供する側の要因」に大別されるが、背景には複雑な要因が絡んでおり、解決への道筋も異なるため、要因別の丁寧な分析が出発点となる。たとえば、「ケアを受ける側の要因」には、本人・家族の複合的な家庭要因が含まれるので、この問題を検討しようとすれば、事例検討と事例集の作成を重ねて丁寧に分析を継続する作業やケースワークを含むソーシャルワークの充実が必要になる。そして「認知症の身体合併症」の問題。ここには二重の排除があり、医療依存度が高い認知症は、ケアの側からは「身体疾患」を理由に、医療の側からは「認知症」を理由に対応を拒否されやすい。解決の道筋は自ずと明らかで、自宅・施設・病院を問わず、「医療」と「ケア」の両方を提供することである。細部は、「認知症医療の問題」の項に記した。
□ 若年性認知症問題は多くのことを提起する(若年性認知症は二度排除される)
若年性認知症は二度排除される。一度目は認知症の初期段階においてサービスが存在しないことによってであり、二度目は認知症が重度になった段階においてサービスを断られることによってである。若年性認知症に対するケアが未確立であることにより、激しい介護抵抗に対応できない施設が多い。結果として家族もまたサポートから排除される。介護の長期化、介護抵抗、孤立、経済的問題などにより配偶者の疲弊とストレスは深刻だが、本当にケアが必要な時期に入ると、対応困難を理由に従来利用してきたサービスさえ断わられることが多い。孤立無援の状況での疲労と先行きの展望のなさは、しばしば配偶者にうつ病の発症をもたらす。こうした状況を直視すれば、私たちの「早期発見・早期診断」の主張は再検討が必要になる。診断だけがあってケアやサポートが不在であれば、診断は告知ではなく宣告になる。「切れ目なく連続したケア」というスローガンも実態と大きく乖離する。こうしてみると、若年性認知症問題は、認知症ケアの試金石と言えるかもしれない。初期の若年性認知症に対するケアの確立は、高齢者を含むすべての初期の認知症に対するケアにも役立つことが多い。そして、後期の若年性認知症に対するケアの確立は、排除されやすい認知症の人たちすべてのケアに福音をもたらす。つまり、若年性認知症問題を解決すれば、認知症問題・本人支援・家族支援の問題の多くを解決することが可能になる。若年性認知症に焦点をあてた試みを開始すべきである。既に、守山市の藤本クリニックをはじめ優れた実践がある。京都においても機は熟している。
□ 大変な人がいるのではなく大変な時期があるだけ
先にシミュレーションした若年性認知症の事例。ここは医療の責任が大きい。医療は即応性を保障することで本人・家族とケアを全面的にバックアップするとともに、入院治療を引き受けたときには必ず地域に返す姿勢と入院期間を短縮する姿勢を維持する必要がある。入院が長期化すると、生活の場を失うことが多い。そして、医療は、身体拘束や隔離を最小限にする姿勢とそれを可能にする技術を身につける。医療は、隔離拘束などの行動制限を伴う治療モデルから離陸し、身体拘束を禁止されているケア施設でも応用可能な新しい治療モデル(ケアモデル)を開発することで、家族やケア施設をサポートすることを追求する。ケアの側は、その人が入院によって目の前から消えて安堵するのではなく、必ず暮らしの場に取り戻すという文化を持つ。対応の難しい人たちを、丁寧な連携によって一緒にサポートしていくことで、医療もケアも少しずつ技術を蓄積していくことが可能となる。
大変な人がいるのではなく大変な時期があるだけに過ぎない。そして、この大変な時期は想像されるよりもずっと短い。横断面での大変さについ目を奪われがちになるが、縦断的な視点を持てるようになると治療もケアも自信を回復できる。一時的に地域ケアの外に置かれることはあっても、再包摂する経験を積むことによって、医療もケアも、そして社会も、認知症の全体像を獲得していくことが可能になる。このように手当の方法が確立していけば、若年性認知症を含め認知症の疾病観の変更も可能となり、終末期の姿も大きく変化していく。
認知症を生きる人たちからみた地域包括ケア、それは認知症の人を地域から排除しないケアのことでもある。それは既に私たちの射程に入っており、それを京都式地域包括ケアの中で形にしていくことが私たちの責務である。私たち一人一人の力を合わせれば、京都の認知症ケアを変えることができる。それは、認知症ケアの確立を希求する連綿とした流れが本日のつどいへと収斂していく過程を経て、私たちの中に形成されていった確信である。
2012年2月12日 京都式認知症ケアを考えるつどい
(同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディーホール)
この京都文書は2012年2月12日に同志社大学寒梅館ハーディーホールに集まった1,003人の拍手によって採択されたものを基に作成したものである。
【京都式認知症ケアを考えるつどい呼びかけ人】(賛同表明順)
・武地 一(京都大学医学部附属病院老年内科)
・辻 輝之(中京区認知症連携の会・中京東部医師会副会長)
・福富昌城(京都社会福祉士会会長)
・吉田 巌(老人保健施設 じゅんぷう施設長)
・宇都宮宏子(京都大学医学部附属病院地域ネットワーク医療部退院調整看護師)
・高木俊介(ACT-K代表 たかぎクリニック)
・北尾勝美(さきょう認知症を考える会)
・山田尋志(京都地域密着型サービス事業所協議会会長)
・細井恵美子(山城ぬくもりの里施設長、元京都南病院総婦長)
・宋 仁浩(北山通ソウクリニック院長)
・松本善則(京都府介護支援専門員会常任理事)
・井上 基(京都府介護支援専門員会常任理事)
・成本 迅(京都府立医科大学大学院医学研究科精神機能病態学)
・塚本忠司(西京区認知症地域ケア協議会・社団法人西京医師会理事)
・大藪 博(西京区認知症地域ケア協議会会長・西京医師会会長)
・畑山 博(中京東部医師会会長)
【京都式認知症ケアを考えるつどい実行委員会構成団体】(法人名略・順不同)
・ポストセミナー
(日本病院・地域精神医学会京都総会「認知症セミナー」の継続)
・認知症の人と家族の会
・中京区認知症連携の会
・京都社会福祉士会
・京都市地域包括支援センター・在宅介護支援センター連絡協議会
・京都地域密着型サービス事業所協議会
・京都市デイサービスセンター協議会
・中京区在宅医療センター/中京西部医師会
・北山通ソウクリニック
・京都府看護協会